マシマシですか?マシマシ派なんですか?マシマシ好きですか?
なんて聞かれたりしたのは今からもう6〜7年前くらいでしょうか。
そう問われても何のことやらさっぱりお茶漬けでしたが、調べてみるとあーそーゆーラーメンの風潮があるのね、どれどれんじゃそれ系のお店があったので....
普通盛りでもてんこ盛りで、噛み応えのある極太麺やらなんやらでとにかく満腹なんですが、満足感が無いのはなんででしょ?
して案の定の化調?の後味。まぁ、体調悪くなる事はなかったのですが。
チャイナレストランシンドロームなんてのを知ったのは美味しんぼで、そんなことがあるんだと。
自炊をするようになり化学調味料などは使わずへたっぴながらやってると、自然とそういったものとは疎遠になるもので、するとまぁ色々なことが見えてきて何より。
そんなある日、知り合いに評判のラーメン屋があるよと誘われて行った、いわゆる鶏白湯系の店。大変な行列で、列に並んでいる最中にオーダーを聞かれ、着席後すぐに供されたラーメンを平らげて帰宅の途にあったその時。
電車を降りてしばらく歩いていると、頭がクラクラ〜っとして歩調が乱れ、うわっ、何だこれ!
初めて経験するそのイヤ〜な感覚には大層驚きました。
後から思うと、色んな違和感が甦ってきました。
さっさと帰らせて回転上げるのは、マシマシ系と一緒ですね。
そしてやたらといる店員の数。しかも料理とは無縁の佇まいの若すぎる風体の連中。調理ではなくメソッドの研修なのか。
わー気をつけよっと、後にも先にもそれ1回だったのですが、つい昨年末にその第2弾が。
新興のうどんチェーンがロードサイドにオープンしたので、ついでに寄ってみるかと。
でかいタンク状の鍋の蛇口からスープをセルフでってのは、四国の本場と見た目は同じなんでしょうが、何だこれ?
駅そばや立ち食い蕎麦のいい店からするとお話にならないレベル。
そういえば、うどんあっためるおばちゃんは勢いよくジャバジャバやってるので、トレイ持って並んでる列に飛沫が飛んでくるし、ここもやたらと店員が多かった。
うどん食ってチャイナレストランシンドロームになるとは思わなかったなぁ。
帰りの運転中、またもや頭がクラクラして危なかったもの。
家に着いてしばらく横になってやっと落ち着きました。
鶏白湯だって、キチンと作ったオリジナルが存在しているけど、そこから圧縮して効率を求めて、その名物料理じゃなくてその味がする魔法を抽出して商品でなくメソッドを取り引きなのかなぁ。
そこで抜け落ちたもの、置き去りにしているものって不要なものですか?魔法のふりかけに作り替えたりできない部分が、言ってみれば、言葉に置き換えられないものは、メソッドとして売り物にならないから置き去りにされていると。
もう一つの違和感である、満足感がないってのもこの手には必ず付いてきますね。
腹減ったとコンビニに行くと色んなものに食いしん坊は誘惑されるのですが、あれもこれも買っちゃってとりあえずメインどころをいただこうと。しかし味はまぁまぁでも満足感が得られる事は決してなく、取っておいたサンドもお菓子も立て続けに平らげちゃうなんて事ありますよね。
最初に書いたマシマシで得られない満足感も同様。マシマシだから余計なモノばかりかといえば、野菜も肉も食材ですから、それとは別の話で、肝心な食べ物から人間が得なくてはならないものということから外れているような気がしてなりません。
実はさっきもほうほうの体で帰ってきてハラヘッタ!ドカ食いか?なんて危惧がオツムをよぎりましたが、自家製パンチェッタがいい具合だったので、キチンとカルボナーラ作ったらもうそれ以上を腹の虫が求めません。
お母さんの手作りの何気ない夕飯なんてそうでしょ?
えっ?マシマシ系って体に悪いからスープ全部飲まないでくださいとか言ってるの?
もはや食べ物ではないですね。
"アトラクション"なんですよね。
アトラクションだから、どーですかすごいでしょーなんて"ネタ"になったりするんですね。
ネタが無いと話では無いのでしょうか?
話にネタなど必要でしょうか。
人が心に触れた事象や現象や物を言葉で伝えるのってむずかしいですよね。
言葉で説明できなくて当たり前、だってその事や物は言葉じゃ無いんだから。
それをあえてやろうとすると、誰もしたことのないような独特の例えや言い回しになるのは必然ですし、もともと言葉じゃ無いものを伝えようとしている気持ちがその奥には確実に存在しているのです。
ネット社会になって、これほど色んな人の文章を読むようになるとは思ってもいませんでしたが、大事なことって、必死に伝えようとしているその奥にあったりします。読むの大変だったりしますけど。
自分の駄文の言い訳をするつもりじゃありませんが。
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