マシマシ シマシマ

マシマシですか?マシマシ派なんですか?マシマシ好きですか?

なんて聞かれたりしたのは今からもう67年前くらいでしょうか。


そう問われても何のことやらさっぱりお茶漬けでしたが、調べてみるとあーそーゆーラーメンの風潮があるのね、どれどれんじゃそれ系のお店があったので....


普通盛りでもてんこ盛りで、噛み応えのある極太麺やらなんやらでとにかく満腹なんですが、満足感が無いのはなんででしょ?

して案の定の化調?の後味。まぁ、体調悪くなる事はなかったのですが。


チャイナレストランシンドロームなんてのを知ったのは美味しんぼで、そんなことがあるんだと。

自炊をするようになり化学調味料などは使わずへたっぴながらやってると、自然とそういったものとは疎遠になるもので、するとまぁ色々なことが見えてきて何より。

そんなある日、知り合いに評判のラーメン屋があるよと誘われて行った、いわゆる鶏白湯系の店。大変な行列で、列に並んでいる最中にオーダーを聞かれ、着席後すぐに供されたラーメンを平らげて帰宅の途にあったその時。

電車を降りてしばらく歩いていると、頭がクラクラ〜っとして歩調が乱れ、うわっ、何だこれ!

初めて経験するそのイヤ〜な感覚には大層驚きました。

後から思うと、色んな違和感が甦ってきました。

さっさと帰らせて回転上げるのは、マシマシ系と一緒ですね。

そしてやたらといる店員の数。しかも料理とは無縁の佇まいの若すぎる風体の連中。調理ではなくメソッドの研修なのか。

わー気をつけよっと、後にも先にもそれ1回だったのですが、つい昨年末にその第2弾が。

新興のうどんチェーンがロードサイドにオープンしたので、ついでに寄ってみるかと。

でかいタンク状の鍋の蛇口からスープをセルフでってのは、四国の本場と見た目は同じなんでしょうが、何だこれ?

駅そばや立ち食い蕎麦のいい店からするとお話にならないレベル。

そういえば、うどんあっためるおばちゃんは勢いよくジャバジャバやってるので、トレイ持って並んでる列に飛沫が飛んでくるし、ここもやたらと店員が多かった。

うどん食ってチャイナレストランシンドロームになるとは思わなかったなぁ。

帰りの運転中、またもや頭がクラクラして危なかったもの。

家に着いてしばらく横になってやっと落ち着きました。


鶏白湯だって、キチンと作ったオリジナルが存在しているけど、そこから圧縮して効率を求めて、その名物料理じゃなくてその味がする魔法を抽出して商品でなくメソッドを取り引きなのかなぁ。

そこで抜け落ちたもの、置き去りにしているものって不要なものですか?魔法のふりかけに作り替えたりできない部分が、言ってみれば、言葉に置き換えられないものは、メソッドとして売り物にならないから置き去りにされていると。


もう一つの違和感である、満足感がないってのもこの手には必ず付いてきますね。

腹減ったとコンビニに行くと色んなものに食いしん坊は誘惑されるのですが、あれもこれも買っちゃってとりあえずメインどころをいただこうと。しかし味はまぁまぁでも満足感が得られる事は決してなく、取っておいたサンドもお菓子も立て続けに平らげちゃうなんて事ありますよね。


最初に書いたマシマシで得られない満足感も同様。マシマシだから余計なモノばかりかといえば、野菜も肉も食材ですから、それとは別の話で、肝心な食べ物から人間が得なくてはならないものということから外れているような気がしてなりません。


実はさっきもほうほうの体で帰ってきてハラヘッタ!ドカ食いか?なんて危惧がオツムをよぎりましたが、自家製パンチェッタがいい具合だったので、キチンとカルボナーラ作ったらもうそれ以上を腹の虫が求めません。

お母さんの手作りの何気ない夕飯なんてそうでしょ?


えっ?マシマシ系って体に悪いからスープ全部飲まないでくださいとか言ってるの?

もはや食べ物ではないですね。

"アトラクション"なんですよね。


アトラクションだから、どーですかすごいでしょーなんて"ネタ"になったりするんですね。

ネタが無いと話では無いのでしょうか?

話にネタなど必要でしょうか。

人が心に触れた事象や現象や物を言葉で伝えるのってむずかしいですよね。

言葉で説明できなくて当たり前、だってその事や物は言葉じゃ無いんだから。


それをあえてやろうとすると、誰もしたことのないような独特の例えや言い回しになるのは必然ですし、もともと言葉じゃ無いものを伝えようとしている気持ちがその奥には確実に存在しているのです。

ネット社会になって、これほど色んな人の文章を読むようになるとは思ってもいませんでしたが、大事なことって、必死に伝えようとしているその奥にあったりします。読むの大変だったりしますけど。

自分の駄文の言い訳をするつもりじゃありませんが。

そうそう、今回はマシマシではなくシマシマの続きでしたね。


これは、当ブログの「男はやっぱりストラトかしら?」のシリーズで紹介した、白→サンバーストの75年製ネック。
元の塗装を落としたら見えてきた、このメイプルのシマシマ。

Fenderのネックをこうしてネックエンドから見ると、このシマシマ=「目」が斜めに走っているのが特徴で、これはねじれや反りに強いということから、あえてこの斜めに目が走るように木取りをしている、というのは、Fenderのネックと常にセットで語られる話でしたよね。
前回の、トマトと香りがセットだったように。
え〜と、80年代とか通っている人は、必ず見たり聞いたりした話だと思います。

しかしこのところ、妙な話がネック界隈で語られているようです。
「板目」「柾目」
中学の技術の授業で教わりましたよね。
英語ではこう言うそうです。
で、ネック(Fender系)はこの板目Flat Sawn=目が指板と並行、柾目Quarter Sawn=目が指板に対し垂直、のどちらが良いのか?という話に花咲いてる様子がネット上で散見されます。

反りに強いのは断然柾目である(だから堅いのも柾目?)
いやいや、板目も音の好みで選択肢としてアリ(誰それは板目指定で作らせている?)

あのー、斜めだったはずじゃ....

中古マーケットや専門店サイトでは、ヴィンテイジFenderの商品の各部紹介に、年代を識別するポイントとしてネックエンドの写真が大抵ありますね。
これはネックエンドのスタンプで、年代やネックグリップの情報を指し示しているわけですが、そこに写る「目」は大抵「斜め」です。その角度や目の詰まり具合は大なり小なりですが。


「オイッ!マサ!」
ロブハルフォードが日本の友人を、前大統領が日本から押しかけてきた金ヅルを呼んでいるのではなく、それはだな、「追い柾目 Rift Sawn」というのじゃよ。上図の真ん中を見てみい!

うーん、そうでしょうか?上の図だと、Fenderは板目と追い柾の間のような気がするし。
ややもすると、今度はネックは追い柾だ!となるのでしょうが、あまりそんな記事は見かけませんね。

ヴィンテイジFenderのネック(メイプル)では、それ以前の「堅さ」をクリアした上での斜めの木取りだったことは理解できます。

では何故板だ柾だなどと、今になって言い出したのでしょう?
それ以前の前提がクリアできないから?
ならば、メイプルにこだわず、他の材からチョイスしても良いのでは?
でもそれでは「ストラト」の音じゃなくなっちゃう?
だったら、ストラト縛りを取っ払っちゃって新しいギター作れば?
でもそんなことしないんでしょうね、本家でも置き去りにしたものが何だかよく分かんなくなっちゃってるんじゃねぇ。

ということで、私はストラトにこだわりたいので、我が道を行くでやって行きましょー!


これはこれは、素晴らしいシマシマ。
72年製ネックですねー。
因みに"22 DEC"とは、クリスマスイブイブイブ=12/22ではなく、"22"はこの年代のストラトのモデル番号だそうです。"B"はネック幅の規格(標準サイズ)。
つまり、1972年12月製造ストラトキャスター用Bネックということです。


じゃじゃーん。
やってきました我が家に。実物だともう少しローズ指板の色が薄いですかねー。
おや?ヘッドに何か、


うひゃー、何ですかーこれは。
売り手の説明によると、ラインストーンが埋め込まれていた跡を、エポキシ樹脂で埋めてあるとのこと。
年代の希少性の割に値段がそこそこリーズナブルだったのはこれが要因ですね。
まぁいいじゃないですか。出逢ってしまったんですから。
プリンスのL6-Sのボディもこんな感じでしたね。
前オーナーが抱いた素敵な未来を想像すればなかなか可愛くも思えてきますが、私の描いている未来には、全く新しいイメイジが私を待ち続けているので、新プロジェクト発足です。
皆さんにお話しするには、これ位のネタが用意できればよろしいでしょうか?

ひとつこれからもお付き合いくださいませ。


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