痛〜い経験無しには


先日実家に帰ったら、近くに住む叔父とも夕飯を囲む事になったのですが、この叔父が趣味で始めた某系飲食店の話に。
叔父曰くのお話は、そりゃおっしゃる通りで筋は通ってます。
確かに、メインどころのメニューは大変美味しい。
しかしその他が頂けない。

その場に居た叔父以外の皆のオツムの上のクラウドには共有できるワードがいっぱい。
ふーむ、直接その共有ワードを伝えて理解してもらえばバッチリ行っちゃうのは目に見えているのですが、なかなかそうも行かないのねんのねん。

こんな経験ってやたら増えているんです。
例えば、お仕事ちゃんでもね、
え?それって今頃になってぶつくさ言ってんの?すでにとっくにこんなご時世なのに!?
だったら、その現状でやって行く事にオツム切り替えるとかいう発想無いの???
だったら今言ったそのヒドイ言葉がそのまま自分に返って来ちゃうじゃん。
とかね。

もちろん、自分の痛〜い経験無しにはこんな事思えたりしなかったりするのかもですが、こんな場面に出くわす度に、いつぞやご紹介した"Under pressure"の"give LOVE one more chance"という言葉がオツムをグルグルし出したりするのです。
あの曲を初めて聴いたのは、リリースと同時にBBCで放送禁止になったというプロモヴィデオをオンエアしたベストヒットUSAでしたが、あれは、ヴィデオの内容の連想とこじつければそうでしょうが、
『"give LOVE one more chance"と言ってしまうと『放送禁止』になってしまうんだなぁこれが』
という、当時からすれば眼前の未来である21世紀に蔓延するであろう、『人の口の噤(つぐ)み方』が手に取るように感じられたから=感じて当たり前なのが人間だから、詩で表現したのさ。

ん~流石ですねぇ。そんなロックが聴けて良かった。

順番。
その人の人生の中での順番って十人十色だからなのかな?なんて以前は思ったりして、でも、もっと極端なこと(人知を超えちゃう事とか)を言ったりする人には『そりゃアンタが言う事じゃない』と感じたり。
でも、やっぱり"give LOVE one more chance"というアティチュードが自然に出たりオツムに浮かぶかどうかでしょ。
それを邪魔するものってなんでしょね?
誰かひとりのせいでもないかわりに、誰もが影響し合ってるから?
かもねかもねそうかもね。

ラブとしやでした。
キャベツとアンチョビとしらすのパスタ喰って寝よ。


 

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